
テキスタイル
テキスタイル Textile
元来は織った布地の意。語源は「織る」の意のラテン語テクスティリス。現在では天然および合成の繊維、織糸、縫糸、またこれらを織り、編み、縮絨(しゅくじゅう)加工、組み、つなぎ、むすび、刺繍などの技術によって布状にしたもの、さらには繊維を機械的・化学的に結合させてつくった不織布(ふしょくふ)などの総称。
織物繊維
織物繊維は糸につむげる繊維、および織り、編み、組み、フェルト加工などにより布にできる繊維の意。人類最初の工芸のひとつである織物は、スイスの湖上住居址から発見された麻の断片にみられるように、新石器時代にははじまっていた。最初の織物は、古代エジプトでは麻、インドやペルー、カンボジアでは木綿で、南ヨーロッパ地域ではウール、中国では絹であった
リネン
亜麻(アマ)を原料とするリネンを最初にもちいたのは古代エジプト人である。初期のリネンは通常白かったため、エジプト人にとっては清浄の象徴となり、衣服や家庭内の用途だけでなく、宗教上の儀式にももちいられた。エジプト人はインドからもたらされたワタからも布を織った。リネンという用語は今日では木綿製のシーツやナプキン、タオルなどの家庭用品をも意味する。語源はおそらくエジプト語のリヌム。
ウール
ヒツジからとる羊毛のことで、聖書には、ダマスカスの古代都市で売られるウールのすぐれた品質についてしるされている。カフカス地方の古代人は、現代のショールの語源となったシャルというウールの衣服をきていた。地中海周辺の全域では、肉や皮、毛を利用するためにヒツジが飼育された。シチリア島と南イタリアは、中国から絹がもたらされて流行する帝政期まで、ローマの衣料用のウールを供給してきた。最上のウールはバスク人が、飼育したメリノ種のヒツジからとったものであった。有能な羊飼いとしてのバスク人の名声は現代までつづいている。
その後、ベルギー人が上質の毛織物をつくりだし、その技術をブリテン島のサクソン人につたえた。彼らも上質の毛織物によって名をはせた。
木綿
今日使用されている繊維の中で木綿はもっとも一般的だが、これが商業面で重要になったのは、天然繊維ではかなりおそい時代である。前5世紀、ギリシャの歴史家ヘロドトスはインドで産する価値ある品々のうち、種子に綿(わた)毛をつける野生の植物について報告している。ワタは前4世紀には、アレクサンドロス大王によって、インドからギリシャにつたえられた。初期のギリシャ人とローマ人は衣服だけでなく天幕や帆布にも木綿をもちいたが、ヨーロッパ全域にひろがるのは何世紀もたってからであった。
アメリカ大陸では、コロンブスの大陸発見以前のメキシコ人が、ワタを織っていた。綿織物は、15~16世紀の探検家たちによって、西インド諸島と南アメリカでみいだされた。アメリカの初期の植民地開拓者たちはワタを栽培し、1793年にアメリカの発明家イーライ・ホイットニーによって発明された綿繰り機の導入後は、ワタは生産量、経済性、実用性などにより、世界でもっとも重要な繊維原料となった。
絹
中国の伝説によれば、絹の織物は前27世紀、黄帝の治世にはじまった。皇后が繭(まゆ)から糸をくりだして織る技術を開発したとされている。何世紀にもわたり、生糸と絹織物は地中海周辺の国々に輸出されたが、中国への旅行者が、カイコの繭をこっそりもちかえった6世紀まで、ヨーロッパ人はこの繊維の正体を知らずにいた。この繭から、養蚕がギリシャとイタリアにつたえられた。絹は12世紀までに、ヨーロッパじゅうの高価な織物につかわれるようになった。
西半球では、カイコの飼育は、イングランドのジェームズ1世がアメリカの開拓者に対して、タバコのかわりに絹の生産を命じた1620年にはじまった。ジョージアでは多少の成功がみられたが、カイコのえさとするクワの木の栽培と、カイコの世話に必要な低賃金の労働力がじゅうぶんでなかったので、コネティカットやニュー・ジャージーでは成功しなかった。
20世紀中ごろの主要な絹の生産国は、中国と日本だけであった。第2次世界大戦の初期に、日本は世界の生糸生産高の90%を占めていた。戦時中、西欧社会は日本商品をしめだしたため、30年代に発明されたナイロンがその代用品としてもちいられていた。
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